戦争法反対プラカ・ポスター
戦争法に反対する意思を表示するために、自宅に表示するポスター、集会で使用するプラカードを作ってみました。どうぞご利用ください。
羽曳が丘9条の会は、大阪府羽曳野市の羽曳が丘地区の居住者が作る地域9条の会です。領海内での個別自衛権の行使はともかく、国外での武力行使をできない国であり続けるために、日本国憲法第9条の堅持が大切だと考えているものの集まりです。
もちろん、憲法9条を変えずに解釈で集団的自衛権を容認するというのはペケですが、個別自衛権に対する考え方、自衛隊に対する考え方は、会としてはすべて許容しています。
このサイトにおいて、事務局名での記述は「会としての情報発信」です。会員の中にはいろいろな考えが並存していますので、上記の縛りでは消化不良を起こしてしまいます。フラストレーションの塊になってしまいます。そこで、会員の個人名(ハンドルネームですが)でそれぞれの思いや考えを掲載することにしました。
当サイト内では、このような理由により矛盾した意見もそのままで掲載しています。個人ブログの集まり、プラス、イベント案内などを中心とした「会」発信の情報サイトとご理解いただきたく思います。
羽曳が丘9条の会 世話人一同
戦争法に反対する意思を表示するために、自宅に表示するポスター、集会で使用するプラカードを作ってみました。どうぞご利用ください。
日時:2月15日(土) 14:00~16:00
会場:未定(ももプラザ 又は 第2集会所)
プログラム:
第1部 情勢の話 西5丁目 杉山 彬 弁護士
第2部 うた―やさしいこころ
~うたえる自由を未来まで~
お話と歌 井澤 慶三 さん(元中学校教諭)
野口雨情作詞の「しゃぼん玉」が発表されたのは大正11(1922)年です。「…屋根まで飛んでこわれて消えた…」は雨情が幼いわが子をなくしたことを思ってつくったのではないかとはよく言われていますが、同じ雨情が作詞した「あの町この町」にある「…今きたこの道かえりゃんせ…」にはどんな意味が込められているのでしょうか。
15年戦争といわれるアジア・太平洋戦争のはじめとなった満州事変が起こったのが1931年でした。戦争が忍び寄る時代、正面切って「戦争反対」と言えなくなっていった時代でした。昭和16(1941)年に発表された「たきび」は米軍の襲撃が激しくなる中で歌うことが禁じられてしまったとか。たき火の火も攻撃の的にされるということだったのです。
何気なく口ずさんでいる一つ一つの歌に、つくられた背景や歴史があることを知らされます。
井澤先生は長年の研究の成果を和歌山弁交じりの優しい口調で語りかけ、自らのアコーデオン伴奏で参加者に一緒に歌うようにいざなってくださいます。うたえる自由を守らなければならないなあと気付かされることと思います。
羽曳野市9条の会連絡会の主催で、新春学習会を開催します。
テーマ「改憲を許さないために”今”」
日時:1月11日(土) 14:00~16:00
会場:リックはびきの 2F大会議室
プログラム
1:歌 フィールドフォークのみなさん
2:講演 西 晃 さん(弁護士)
羽曳が丘憲法九条の会は月1回第2土曜日を基本に街頭宣伝に取り組んでいます。情勢の動きが早くて、配るチラシを用意するのが大変です。できるだけ受け取ってくださった人に読んでもらえるようにと、多くは自前で作っています。
今回は、野田首相をはじめ、自民党沿再選に出馬した5人が口をそろえ、また「維新の会」代表の橋下徹氏も「集団的自衛権」を肯定する発言をおこなっていることに警鐘を鳴らそうと作りました。13日の宣伝時でも、通りがかりの人の中に「憲法9条は変えなあかん。日本は弱すぎる」と言っていた人が少なからずいました。「閉塞感」が覆う中、「領土問題」が相次ぐ中、「力‘=武力」」にでも訴えたい、と思う人が増えているのでしょうか。今また「九条の会」のがんばる時だと思います。
羽曳が丘憲法九条の会では、この間、日本国憲法の精神である、「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」の実現目指して、人類を破滅の陥れる危険を伴う核の脅威をなくすために、取り組みを進めてきています。福島原発事故についても、少しでも多くの人々に真実を知ってもらおうと、今回はチラシのとおりのつどいを開くことにしました。
まず、DVDをみて、そのあと、参加者で意見交流などしたいと思っています。
ぜひ、ご参加ください。
オリンピックと暑さを振り切って、毎月の街頭の宣伝行動です。でも、でも、さすがに通行人が少ない。。。!(T_T)
約1時間の宣伝の間のどの瞬間をとっても、宣伝隊より通行される方のほうが多いということはありませんでした。トホホ。
今回の宣伝は、チラシの必要量が少ないことはあらかじめわかっていましたので、両面カラーにしました。トップに「金曜日の官邸前原発再稼動抗議行動」の空撮の写真(写真:広川隆一氏・写っているのは国会正門前部分)を使いました。消費税増税、TPP、原発再稼動、オスプレイ配備、何をとっても今の政府は国民の声を聞きません。その象徴として使わせてもらいました。
8月のチラシ表 8月のチラシ裏
チラシで取り上げたのは原発再稼動とオスプレイだけですが、原発関連だけでも瓦礫の広域拡散や新規制庁の人事問題、除染事業の利権化、低線量被曝の軽視、と枚挙に暇が無いのに加えて、ほかにも国民総背番号制マイナンバー法案、秘密保全法、ACTA、成立してしまった違法ダウンロード厳罰化、もう国民いじめとしかいえませんね。
☆テーマ 福島第1原発事故から自主避難してきた話
~原発事故に遭った方の話を聞いて「原発」について一緒に考えてみませんか~
「福島第1原発事故」はそれまでの原発「安全神話」を吹き飛ばしてしまいました。放射能汚染の危険のため、事故後の復旧・復興は遅々として進んでいません。福島県九条の会は「日本国憲法9条が依拠する『平和的生存権』=『恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利』ととらえ、原発事故はこの人権を侵害している」と位置付けて奮闘されています。
私たち羽曳が丘憲法九条の会は、このたび、福島市から京都市へ自主避難してきておられる方を招いて直接お話を聞くつどいを開くことにしました。
みなさんの参加をお持ちしています。
☆日時 5月13日(日)午後2時~4時
☆会場 羽曳が丘コミュニティーセンターMOMOプラザ
住所 羽曳野市羽曳が丘西2丁目5-1
電話 072-957-5553
交通 近鉄南大阪線「藤井寺」または「古市」駅下車「羽曳が丘方面」行バスで「羽曳が丘西2丁目」バス停下車
☆会費 無料
今年もよろしくお願いいたします。
昨年3月11日に東日本を襲った大震災はあまりに広範囲で被害が甚大でした。そこに追い打ちをかけたのが福島原発事故です。被災地の復旧・復興は遅々としており、原発被災地では復興の見通しもままならない状況の中で新年を迎えることになりました。日本中が何らかの影響を受けていて、決して他人事として済ませるよような状況ではありません。そのことを踏まえたうえで、新しい年を「良い年であって欲しい」と願わずにはおれません。
羽曳が丘憲法九条の会は、昨年1年、震災の起こった3月とダブル選挙の行なわれた11月を除く毎月、第2土曜日を基本に街頭宣伝を行ないました。5月には市民フェスティバルに参加しました。また、結成5周年を記念して、ジャーナリストの西谷文和さんを講師に第8回つどいも開くことができました。
今年は結成して6年目に入ります。昨年は、東日本の大震災と原発事故があり、その復旧・復興に全力を挙げなければならない時であるにもかかわらず、首相の非常事態宣言条項を入れるべきだとか、衆参とも総議員の3分の2以上の賛成がなければ憲法改正発議ができないとなっているのを過半数の賛成でできるようにすべきだとか言って、超党派の国会議員等でつくる新憲法制定銀同盟は「今年こそ改憲の絶好の年にしなければならない」といいだしました。そして、10月には、衆参両院とも憲法改正を審議する「憲法審査会」を発足させました。また、12月には、外国に武器を売ってはならないという「武器輸出3原則」を骨抜きにし、どこの国へでも売ることができるようにすると閣議決定までしてしまいました。このように「9条」を脅かす動きが続いています。こうした動きがある限り、「九条の会」も粘り強くがんばっていかなければならないと思います。今年も共にがんばっていきましょう。
今年は羽曳が丘憲法九条の会を結成して丸5年になります。そこで、5周年記念として、第8回目となるつどいを次の通り開くことにいたしました。ぜひ、ご参加ください。
記念講演をして下さる西谷さんは、元は吹田市役所で働いておられました。直接自分の目で戦争の様子をつかみたいという思いでアフガンやイラクに出かけ、取材を続けるうちに、ついに決心をして市の職員を辞めてジャーナリストになられた方です。イラクなどで多量に使用された劣化ウラン弾の後遺症に苦しむ人達を見る中で、放射能にも強い関心をお持ちです。今回のつどいでは、この度の東日本大震災によって引き起こされ福島第1原発事故のことにも触れたいと言っておられます。
羽曳が丘憲法九条の会結成5周年記念第8回つどい
◇日時 5月15日(日)午後2時~4時30分
◇会場 羽曳が丘第2集会所(駐車場はありません)
(羽曳野市羽曳が丘西3丁目)
◇内容 ギター演奏
◇記念講演 「戦争がもたらすもの」
~アフガン・イラク・バーレーンからの報告~
今年2月、アフガンとバーレーン取材から帰国、映像を使って戦地のありのままを報告
講師 西谷 文和さん(ジャーナリスト)
◇入場無料